Scala関西の運営から抜けました
この度、自身が立ち上げて主宰していた、Scala関西の運営から抜けました。
つい先日も勉強会でScalaの話をしたり、Scala関西Summit 2019も開催すると決めて、例年通り主宰として準備を進めていたので、この急な話はいろんな人を戸惑わせることは承知しています。 ですので、理由を公開しなければと思い、ブログを書いています。
最初に前置きしておくと、抜けると決めたのは本当に急な話です。 あと、病気だとか実はスタッフと仲が悪かったとか、ネガティブな理由ではないです。 先日までScala関西やる気満々だったのも嘘ではないです。 抜けようと決断した前後にはいろいろな葛藤もありましたが、前向きな理由によるものです。その辺りはご安心(?)ください。
抜けようと決断した理由
運営から抜けようと考えることになったきっかけは、下記資料です
2019/05 Scala導入を検討したい人に向けた情報をまとめてみた · GitHub
Scalaに興味があるという人から質問をうけることが多いのと、こういう知見ってあまりまとまった情報がない気がすると思って、作成して先日開催した勉強会で発表してみました。*1
そして、この資料をきっかけに何人かの人とScalaの導入について話をしました。 その中で、私が思っている以上に、Scalaは限定的なユースケース以外では選択し辛い言語となってきているんだなと感じました。
要因としては、ここ2〜3年でJavaが進化したりKotlinが流行って、一般的なJVMのWebシステムならJava/Kotlinの方が選択肢として適している場合が多かったり、コンテナ技術の発展でマイクロサービスが流行したりと、私がScalaをはじめた頃から技術の流行が大きく変化したということがあります。
私もその流れは知ってはいたのですが、「Scala/Kotlin/Javaどれでもいいとなった場合に、プロダクトに採用しようとした場合の導入や運用の知見がScalaは情報がなさすぎるのでは。そこさえあれば、Scalaを選択しようというところも増えるだろう。」という考えがありました。ただ、ここ数年の周辺技術の変化による影響は私が思っていた以上に大きいものであるようです。
私はフリーランスエンジニアとして仕事をしています。 契約形態は請負だったり準委任だったり案件によるのですが、基本的に作ったものを最後まで面倒をみるということができません。 採用技術はクライアントさんから指定がある場合もありますし、選定から私が関わることもあります。 ただ、自分に技術選定の裁量があっても、エンジニア・外注先の確保という観点がネックとなり、Scalaを選択できることは稀というのが現状です。
私が単にScalaを書きたいだけで、Scalaのフリーランスエンジニアとしてやっていこう!という考えであれば、Scalaで仕事をしていくという方向に倒すことは、おそらくそんなに難しくはないことです。 Scalaのフリーランス向け案件自体はそれなりにある(特に東京)筈なので、「Scalaのお仕事募集しています!」と積極的に営業をかけていけば、Scalaの案件だけをお請けしていくことも不可能ではないとは思います。*2
ただ、私がお仕事をお請けする判断基準は、使用技術はもちろんのこと、クライアントさんとの関係性、サービスの内容、期間、費用、私の気分 etc. etc... いろいろな要素が絡み合っています。
そういった、自分がやっていきたいこと、やりたいことを考えたときに、裾野が広い技術に軸足を置く方向に倒さなければ、自分の幅を狭めてしまうことになります。
よって、当面現状が変わらない可能性が高い以上、「Scalaに軸足を置きつつJava/Kotlinも依頼が来れば書く。」という状態だったのを、これを逆転させて「Java/Kotlinに軸足を置きつつ、Scalaも依頼が来れば書く。」ことにしようという考えに至りました。
上記経緯により、
- 仕事の上で、私はScalaについては優先度を落として、Java/Kotlinを優先的にやっていく方向に舵を切った方がいい
- 仕事でScalaの優先度を落とす以上、これまでのようにScala関西の運営に労力を割くことはできない
というのが、運営を抜けると決断した理由です。
Scala関西Summit 2019を開催すると決定し、日程概要をすでに出していましたが、もう10月開催に向けて今の気持ちでは引っ張っていくことはできないこと、まだスポンサー・スピーカー募集を開始しておらず、今なら中止ということになってもご迷惑をかける方が少ないという判断で、このタイミングで抜けることにしました。
Scala関西について
Scala関西は、私が2012年にはじめた「PlayFramework関西ビギナーズ」「Scala関西ビギナーズ」という勉強会がはじまりです。
元々は20、30人規模の定期勉強会だったのですが、2015年から年1回「Scala関西Summit」を開催するようになりました。
協賛を募るにあたり口座を作ることになり、その際に「Scala関西ユーザーグループ」という任意団体名をつけました。そしていつの間にか「Scala関西」という呼び名がコミュニティ名として定着しました。
カンファレンスを開催することになった経緯や、どういう想いで開催していたかの説明は、過去のブログで書いているので、そちらに譲ります。
- Scala関西Summit 2015の裏側! - 大規模カンファレンスの作り方 - - だいくしー(@daiksy)のはてなブログ
- 2015は私は記事を書いていないのですが、スタッフのだいくしーさんが綺麗にまとめてくださいました。
- Scala関西Summit 2016を明日に控えて - nocono
- Scala関西Summit 2017を開催します - nocono
- Scala関西SummitはScalaについての知見をみんなで持ち寄る場です - nocono
というわけで、Scala関西は徐々に、Scala関西Summitという年1回のボランティアスタッフによるカンファレンスを継続して開催するコミュニティになっていきました。
ただ個人的には初期のように小さい定期勉強会をやっていきたい気持ちがあり、実際去年はSummitやめようかなという話もしていました。ただ、大規模のイベントを開催することの意義やメリットも大きいことは確かです。 人が集まるイベントほど各所に与える影響も大きくやりがいもあり、開催していて楽しいと私も感じます。 それもあり今年2019も「Summitやるぞ!」と決めて、開催する方向で進めていました。
ただ、私がやっていたことは、赤字を出さないように商取引をしつつ、スタッフをまとめながら非営利でイベント事業を行うという会社経営のようなことでした。 しかもスタッフはみんなボランティアで、所属もばらばらです。 非営利型団体ですので、通常の営利事業の会社経営とはまた事情が異なりますが、私が感じていた課題感や悩みなどは完全に経営のそれでした。
私は個人事業主なので仕事で商取引を行なっており、お金の計算が得意というわけではないものの、お金の取り扱いの心得が元々ありました。 また、自分で言うのもなんですが私は営業スキルが結構高く、お金の面ですごく困るということはなかったです。(毎年ドキドキはしていましたが・・・)
ただ、経営に関しては完全にど素人で、組織作りについては最後まで四苦八苦していました。 どうやって方針を決めて、タスクを切り出して、誰にどう任せるのがいいのか。チームを作ってみたり、一部はお金を出して外に委託してみたり・・・。 毎年私なりに試行錯誤して、うまくいった試みもあれば、全くうまくいかず逆に自分の負荷があがってしまった試みもあります。
先日までのモチベーションがある私なら、ここ最近の気付きを元に「今年こそ楽に継続開催できる仕組みを作るんだ!!」と、「好き」という気持ちで無理をしてでもチャレンジをしていたと思います。
でも、もうそのモチベーションはありません。
ボランティアスタッフカンファレンスの難しさ
この手のボランティアカンファレンスを主宰している人達と話をして、どうやって運営しているのか話を伺う機会も何回かありました。 また最近、カンファレンス主宰の方々の下記記事を拝読いたしました。
正直、抱えている課題感などはどこも同じであり、どこの団体も、経営の素養がある、かつモチベーションが高い人が、大なり小なり無理をしながらひっぱっていっているという印象です。
いざ辞めると決めて改めて振り返ると、私も結構無理をしてしまっていたなと思います。
ただ、じゃあやるんじゃなかったな・・・なんて気持ちはなく、いい経験ができたとは捉えています。 この経験は今後の自分の人生においてとても役に立つ価値のあるものです。
ただ、同じようなカンファレンスイベントをやってみたいという人に「やってみなよ!」とはとてもではないですが軽々しくは言えません。 やりたいならやってみればいいと思いますが、そう簡単に考えない方がいいです。先程も書いた通り、やらないといけないことは会社経営みたいなものであり、エンジニアとして以外のスキルが要求されます。
とはいえ、こういったカンファレンスイベントを開催したい!という気持ちはわかりますし、いい感じのベストプラクティスが確立されればいいなぁ・・・とは思います。
ちなみによく、規模を小さくすればいいのではという意見を見ますが、個人的にはお金を集めないと開催できないイベントとして設計されたものに関して、イベント規模と開催難易度は比例しないと考えています。
規模が小さく(参加者が少なくなる、コンテンツが減り提供できる特典が減る)なれば、その分企業さんに提供できる価値は小さくなるため、スポンサーフィーは下げる必要がでてきます。 大きくなればこれを上げることができるため、お金で解決できることも増えていく筈です。
協賛金や参加費を集める必要があるかないかが大きな分かれ目であり、規模による難易度差は正直大差なさそうなどと思うのですが・・・どうなんでしょうね。少なくとも、規模を小さくすれば解決する簡単な問題ではないとは考えています。
Scala関西のおかげで、仲間がたくさんできて楽しかった
運営を抜けると決めた数日後、スタッフMTGでみんなにその旨を伝えました。
主宰は辞めるけど運営としては残るという選択肢はないのかとも聞かれましたが、残ると今までと変わらず動いてしまうような気がして、すぱっと抜けたいという話をしました。
みんな最初はびっくりしていましたが、私が前向きだったので、「お疲れ様でした!」と前向きに送り出してくれました。
でも、やりたいようにやりたいことをやって、自らしんどい方向に持っていって、それで「やる気なくしたから抜けるわ!」という形でぽん!と抜けたのでなんて迷惑なやつなんだという気持ちも正直あり・・・。みんなごめんね、明るく送り出してくれてありがとう。
ただ、この決断の前後には葛藤もありました。
モチベーションがなくなった途端にScala関西が自分にとって重いものとなり、主宰を続けるのも無理だし、でも辞めることもそんなに簡単じゃないと感じて悩みました。
でもどう考えても続けるという選択肢がない・・・という考えに至ったときに、話を聞いてほしいと思い連絡をしたのが、ScalaMatsuri主宰の @OE_uia さんでした。 同じカンファレンス主宰という立場の@OE_uiaさんが話をじっくり聞いてくれたおかげで、気持ちを前向きに転換することができました。
Scala関西Summit主宰者として活動したことがきっかけで知り合った方はとても多いです。関西だけではなくそれ以外の地域、また、Scalaコミュニティはもちろんそれ以外のコミュニティにもたくさんの友人ができました。
Scala関西はよく「楽しい」というご感想をいただきます。 それは、私がちゃんと楽しんでいたからです。
いろいろなコミュニティイベントに参加したことがありますが、どのイベントも、主宰のカラーや思想が色濃く反映されていると感じます。 だから、Scala関西が楽しい場になっていたのであれば、それは私がちゃんと楽しんでいたからです。
これはScalaコミュニティに限った話ではありませんが、人がたくさん集うとそれなりに問題もでてきて、ぶっちゃけめんどうだ・・・と思うこともあります。でもそれ以上に、人が集い、仲間ができると、とても楽しく、嬉しい出来事も多いものです。 そういったことも、Scala関西から学びました。
- イベント当日の写真アルバム。改めて見返すと私もみんなも本当に楽しそう。
Scalaコミュニティから去るわけではありません
私は、これでScalaをすっぱり書くのをやめよう!とは考えていません。
Scalaは本当に不思議な魅力がある言語だな〜と思っています。
先日の勉強会で出た言葉を借りるならば「エンジニア心をくすぐる」言語です。
よく賛否両論をまきおこすScalaの特徴として、他の静的型付け言語と比較しての「高い表現力」があります。
私はScalaを書きはじめて、可読性について強く意識をしてコードを書くようになりました。 Scalaは表現力が高いがゆえに、どう書けば可読性が高く、読みやすいコードになるかをより考えて書く癖がついたのだと思います。 実際、自身が開発したScalaのWebシステムを2年振りに触ることになった際も、どういう処理をしているコードなのかが明確でさっと読むことができ、かなり助かりました。 よって、私はこの表現力の高さに魅力を感じています。
Scalaを書いている人はみんな大体「コードがすっきり書ける!」「書いていて楽しい!」と言いますし、私もそう感じます。 Scalaは好きだし本当はメインで使っていきたいです。
でも残念ながら、私がやりたいこととはマッチしないのです・・・。 「好きだから!」だけでは採用することはできない。難しいところですね。
ただ、Scalaはおそらく、今後も根強いファンを少しずつ増やしていくのでしょう。 ですので、また今後技術事情が大きく変わった際にはScalaの裾野が広がっていき、Scalaがメインストリームの言語となる可能性もまだあると考えています。 Scalaを使いやすい状況になることがあれば、そのときはまたScalaの方に軸を戻して積極的に使っていきたいし、ぜひそうなってほしいです。
Scala関西は誰のもの?
運営から抜けた後に、スタッフから「Scala関西というものは誰のもの・・・?」という質問が来ました。この辺は曖昧なままで運営をしてきました。
「Scala関西」は当初「きの子さんがやりたいことを、やりたいようにやるところ」として成り立っていて、それでいいという話も出ていました。 だから、発足当初〜どこかの時点までは、Scala関西は「私のもの」だったんだと思います。それがどの時点までだったのかは、私にもわかりません。そもそもそれを公言していなかったし、私は別に私のものにしたくてやっていたわけではないので、実は最初から別に「私のもの」ではなかったのかもしれません。
まぁでもおそらく「私のもの」であったこの集いは、人が多くなり、存在も大きくなるにつれて「関西のScala好きな人のためのコミュニティ」として認知され、いろいろなことが曖昧なまま、気がついたら「みんなのもの」となったのだと思います。
当初は私がやめたくなったらScala関西は終わりでいいんじゃない?という話もありました。 でもありがたいことに今、Scala関西にはたくさんの仲間が集っています。 今、残ったみんなでどうやって、何を目的としてどういう形で運営していくのか、話し合っているところである筈です。 それがどういう形なのかは私にもわかりません。
でも、私がやる気をなくしたら終わりでいいじゃんと言っていたScala関西に仲間が集まり、なんらかの形で残りそうであること、何かを確実に残せたこと。とても嬉しいです。
最後に
私はいつの間にか、「Scala関西のオーガナイザー」と紹介されるようになりました。
でも自らオーガナイザーという肩書を名乗ったことは、あまりありません。 これ書くの少し恥ずかしいのですが、響きがカッコ良すぎて自分には合わない照れくさい・・・!と感じていて、最近やっと自分でも名乗る度胸がついてきてたまに「オーガナイザーです」と言うことも出てきたところでした。
というわけで、最後の最後に今更ですが、このオーガナイザーという言葉を使わせてください。
今後も、これまでとは違う形で、コミュニティには貢献していきたいと考えています。 とはいえ「Scala関西のオーガナイザー」としての活動についてはここで一区切りです。
私をコミュニティ・オーガナイザーとして育ててくれたScalaコミュニティには心の底から感謝しています。本当に本当にありがとうございました!
きの子 こと あべ あさみ